古民家の中の新ギャラリー
17回 2004/11/16(Tue)

ソウル情報その1
亜細亜美術会主催韓・日美術交流会のソウル旅行に幅広のバティックのスレンダとストールを持参しました。私がその時に使っていたのはシルクのスレンダで、インドネシア女性の民族衣装に欠かせない縦長ストールの布です。素材は木綿やシルクなどのバティックで布巾は様々ですがおおよそ巾20〜50センチ長さ150〜200センチなので外国人にはストールとしても使いやすいサイズです。
残念ながら日本同様にソウルでお会いした方々もバティックとえばバリの染めと勘違いされている方が多い事でした。ちなみにバリ島の観光客1位は日本、2位は韓国ですから隣国の文化にもっと関心を持ちましょう!!
ソウルの旅は言葉が通じないので見た目だけの感想ですが、最も関心があったのはソウルのギャラリーと作家さんたちの個展をする姿勢でした。
仁寺洞(インサドン)エリアは伝統の街。韓国すき紙、伝統茶房、骨董品等の間口の狭い店舗と軒を同じくして個展ギャラリーと画商の店が道を挟み左右にまた仲小路にも並んでいます。ギャラリーは斬新であったり古民家の庭に点在していたりロフト風と様々な空間で作品のカテゴリーにかかわり無く新旧がぴったりと寄り添っているのがいい感じです。
個展の立派なポスターは街中で見られて個展会場に入ると殆どの作家は会場で作品図録を販売しているので作家活動は厳しいのが現実なのでしょう。果たして私は?個展倒産覚悟でなければ…無理でしょうが、ソウルの作家さんたちの姿勢は学びました。
街並みには旅行者向けの小間物店と食事処もほどよく点在していて「芸術と伝統を大事にする国は自信に満ちている」とかつていった方の言葉を思い出しながら気持ちの良い街を散歩していました。
画像:耕仁美術館(キョンインミスルグァン)。茶房を中心にした約500坪の敷地にギャラリー3棟、野外展示場、現代作家の作品ショップがあります。






初冬のソウルへ
16回 2004/11/2(Tue)

韓国ソウルへ行ってきます。
11月8日(月)〜13日(土)の6日間ソウル市大平路のソウルgalleryで亜細亜現代美術会韓国選抜展が開催。海外でバティックが展示されるのも韓国行きも初めて!北海道脱出は4年ぶり!素直にワクワクです。
ガイドブックを読みネットでソウル市内をバーチャル散歩を繰り返していると短期間の滞在が悔やまれて悔やまれて、「あ〜もう一度行きたい街ソウル」になってしまいました。
日本は韓流ブーム。来日した韓国のスター皆さん達のは日本語のご挨拶は好感度です。それじゃ〜私も勉強。と、始めたのですが「ワぁ〜〜〜ハングル文字?!読めない!」それじゃ発音を丸暗記「ウぅ〜〜〜音が耳に残らない!」。独自の文字を持つ国の言葉をにわか勉強なんて無理無謀でした。
ソウルの作家さん達との交流会では日本語のお上手な方との出会いを願うばかりです。それでも毎日呪文のように韓国語を繰り返してはいるのですが??…果たしてどうなる事でしょうか?
画像中で人が二人並んでいるような絵はハングルでユウコ?だ、そうなのです。
次回はソウルのお話をしましょう。




華麗な布の陰に
15回 2004/10/23(Sat)

見上げる秋空にウロコ雲が…。バティックの文様の中にも日本のウロコ小紋と同じウロコ文様があります。人間の発想って案外同じなのですね。画像のウロコ文様は16歳の少女の職人さんがサンプル用にロウ引きして下さったのですが、ウロコ文様は勿論この限りではありません。
今回は文様を描く職人さんのお話を。
布全体を構成する模様の中に点や線で細密に描かれているのが文様です。
細かな文様部分をじ〜っと見ると、今まで気にかけないでいた細密文様が隠し絵のように見えてきます。バティックの重厚な味はこの文様の組み合わせが肝心!と気づいたのはバティックの勉強を始めてからでした。それまでの私は全体の模様の面白さと色調で決めていました。
インドネシアの工房は一般的に分業。下描きされた布はチャンティン作業の職人さんにわたり「この部分はウロコ文様、こちらは点線で」と、白地部分の文様の指示を受けます。ベテラン職人さんの腕が光るのはここからで、文様のバリエーションを華麗かつ美的にバランスを取りながらロウ引き作業をすすめます。
眺めている私をちらっと見上げて「どうだ!参ったか!」の視線をぶつけてきます。「はい、参りました!」私も無言で返しました。
バティック作業にかかわっている職人さん達の月給(7時間勤務)は技術レベルにより違いはあっても邦貨で僅か約5,000〜4,500円!生活は成り立ちません。
バティック産業は斜陽といわれている様々な要因のひとつに職人さん達の薄給もあるのでは…と私は思います。職人さん達にもっと光りを!華麗なバティックの布に隠された悲しい現状です。





鎮魂のバティック
14回 2004/10/6(Wed)

2002年10月12日夜のバリ島。
犠牲者202名、負傷者300名以上もの悲惨なテロ事件が起きて2年が過ぎました。
事件の直後、バティック工房POPILERUの職人さん達は鎮魂の祈りを込めて一枚のバティックを制作・完成させました。
モチーフは爆破で飛び散った犠牲者のシルエットです。
「下描きの時に犠牲者の悲鳴がしていて辛い仕事でした。こんな惨いバティックはこれ一枚で終わり。抗議の色「赤」に染める予定だったのですが土の色にしました」
と、デザイナーのイワンさんは手紙でそう伝えてくれました。土の色にはバリ島ならではの意味がある…と、私なりに解釈をしました。
それは、不慮の事故と赤ちゃんで亡くなった霊はこの世に未練があって成仏できないのでしばらくこの世に留まれるようにと土中に葬った後、日を改めて火葬で霊を見送る。と、バリの友人が宗教観を教えてくれたのを思い出しました。
それで、犠牲者は土色のバティックに葬られた……のではないでしょうか。
伝統染めと揺るぎのないバリ島の宗教観は国境を越えて誰の心にも届くインドネシアならではの作品です。(画像:2002年バリ島で目崎泉さん撮影)




マンゴーの実る頃
13回 2004/9/21(Tue)

バリの染め工房の大きなマンゴーの木が6月に小さな白い花芽を付けました。ピンポン球サイズの実が膨らんでゆく様子を仰ぎ見ながら私は作業の息抜きをしていました。熱帯の果物はあれ〜〜ッという間に熟すのかと思えば意外!収穫は10月でした。
いやしげな私の目付きを察してか?その年はオーナーから工房にお裾分け。数日間米びつの中でお米に埋もれて熟成「ご馳走さま〜」。
その後、マンゴーをモチーフに習作を染めると「食べた物は全部、染める積り?」と、職人さん。私「多分ね」。「それじゃ、次はバビ・グリンだ(子豚の丸焼き)」「お弁当のご飯のボール?オ・ニ・ギ・リ」爆笑!笑われて気づいたのですが無尽蔵にあるバティックのモチーフでも食べ物はお米、稲、魚…果物ではブドウを一度見かけた位です。モチーフになる果物は豊富にある熱帯なのに????
それで突飛なモチーフがよほどおかしかったようです。
それ以来野菜、果物、木の実などをモチーフに染める度「ふ〜う?〜?〜ん?」と周囲はケゲンそう、こんな反応も異文化の違いなのでしょうか。
今年もあのマンゴーはこぶし大に膨らんでいるのでしょう。

追筆:果物のモチーフに[ザクロもありましたよ]とM.Oさんからお知らせを頂きました。ありがとうございます。





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